【本の感想】「南京事件」を調査せよ(清水潔著、文藝春秋刊)

スポンサードリンク




「南京時件」というタブー

2016年8月刊行の『「南京事件」を調査せよ』(清水潔著、文藝春秋刊)という本を読み終わりましたので、今日はその感想を書きたいと思います。

スポンサードリンク




この本は、戦後70周年の節目に、南京事件を題材にしたドキュメンタリー「南京事件 兵士達の遺言」を制作した日本テレビの報道局記者・解説員の著者が、番組制作を通じて知り得た話や、制作の過程、自身の所感を書きつづったものです。

南京事件は南京大虐殺とも呼ばれ、呼称もはっきりしていないことからも分かるように、事実関係をめぐって議論が絶えません。どのような経緯で、何人の方が亡くなったのか、諸説あります。そもそもこのような出来事は無かったと主張する人もいるくらいです。

事件当時、戦争下の報道規制が敷かれており資料があまり残っていないこと、加害者という立場に置かれた日本兵があまり真実を語らないこと、そして戦後から現在まで絶えることのない右派・左派の政治イデオロギーの対立が、この事件の真実を正確に捉えることを阻んできたのです。

ジャーナリズムから「南京事件」に迫る試み

そんな、扱うことをタブー視されてきたと言える南京事件を真正面から取り上げ、ドキュメントを制作しようとしたのが著者です。著者は調査報道を生業としてきた記者であり、政治的イデオロギーからは全く独立した、ジャーナリズムという中立的立場からこの事件の真実を探ろうとします。

中国に留学していた私にとって、南京事件は、純粋に何があったのか知りたいけれど、なかなか偏った意見しか耳にできず、とにかくややこしい史実という印象だったので、この著者のスタンスはありがたかったです。

もちろんこの著者とて、完全に中立的な立場で居続けることは難しいと思います。調査結果の考察、分析の過程では、特に私と意見が異なる際に「この人だって偏ってるじゃん」という感想を持つこともありました。

というのも本の後半では、著者は自身の調査から「南京時件」は間違いなくあったという結論に達しており、虐殺を無かったとする政治家やインターネットユーザーの意見を取り上げて、一つ一つ反論していきます。しかし、この反論がかなり執拗で、なんだか低レベルの言い争いを虐殺否定派としているように感じました。

私としては元々、虐殺自体無かったとする主張は少し無理があると考えているので、その議論にひたすら紙幅を費やすよりは、もっと諸説入り乱れる虐殺の内容や経緯の真実に足を踏み込んで真実を追い求めて欲しかったと思います。

真実解明の難しさ

また、この本では、内容の大部分を『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)の編者、小野賢二氏が収集した元日本兵の証言と日記に基づいて構成しています。現地調査や一次資料に当たることで、その裏付けを取りました、というのが著者の成果のほとんどであり、新しい事実の発見はあまり無かったように思います。

従って、よく議論がされる虐殺された人数や、私が特に知りたかった「女性やお年寄り、子供を含む民間人への虐殺行為」の真実の解明に向けては、あまり進展がなかったように思います。

とりあえず、ジャーナリズムの光を当てて明らかになったのは「南京事件」は間違いなくあったのだということでした。

そしてもうひとつ、著者の調査の過程を事細かに追うことで、「南京事件」の真実を追うことの難しさは、本当によく分かりました。

70年という月日の流れに加え、加害者の日本人としての後ろめたさや、被害者である中国人への蔑視感情が邪魔をして、一つしかない真実のはずなのに、なかなか明らかにすることができず、もどかしさを感じました。

今後、当事者の死去などにより、ますます真実を追うのは難しくなると思います。

しかし、日中関係を良好にし、それを維持していくためには、ズレのない両者の歴史認識は不可欠です。多くの日本人は、南京事件を認めたくないなどとは思っていないと思います。ただ、あまりに議論が分かれ過ぎており、真実が分からないのでややこしい話だとしてあまり関心を持てないのです。なので、真実だという説得力を十分に持った説が出て、日中両者の共通の認識になれば(そして日本人ももう少しこの史実に目を向けるようになれば)日中関係の改善の一助になるかと思います。

ジャーナリズムの役割に期待

真実だという説得力はどうすれば得られるか、加害者である我々にとっては目を背けたいようなことであっても、これが事実なんだと納得させられるにはどうしたらいいか。

やはりジャーナリストがきちんとジャーナリズム的手法に則って、公明正大に調査し、報道していくしか方法はないのだと思います。その意味で、今回のこの著者の試み、「加害者としての我々」に切り込んだ功績はかなり大きいと思いました。「被害者としての我々」は必ずしもジャーナリズムの手を借りずとも表に出ていきますが、加害者の場合は、学者や有識者の議論だけではなく、中立的なジャーナリズムの力を借りないと解決は難しいのでしょう。

総合評価

☆☆☆☆★

 

ちなみにブログ筆者の「南京大虐殺記念館」レポートはこちらから。

 

 

 

スポンサードリンク




スポンサードリンク




コメントを残す




*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)